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桜の咲く季節の前に。過去への探訪と個人的見解。 [social]

今日は、ニュースで80年前の2.26事件について、
何箇所かで放送をしていた。毎年のことだ。

歴史上の出来事なので、イマイチピンとこないかも
しれないが、事件当時東京から習志野駐屯地まで
戒厳令が敷かれた。

80年前には、日本は今戦火が激しい地域とさして変わらない。

私たちの住む船橋という地域は、明治維新以降、動乱の地であって、
戊辰戦争の船橋・市川の役から、2.26の戒厳令、果ては習志野駐屯地
(当時の陸軍演習場)が近いこともあり、無線基地や捕虜の収容所なんかも
あったそうで、繁華街や歓楽街が近いこともあり栄枯盛衰を極めた。

私の親の代が幼い頃に過ごした、船橋の漁場に近い地域があって、その近くに
80年前に建て替えをされたとおぼしき先祖の墓が今も寺の奥の方に
どーんとそびえている。
そこには実は、80年前の戒厳令が解除された7月に建立された
と彫ってあり、そこに眠る先祖たちはそれぞれ没した日がそれよりも
ずいぶん前なので、おそらく墓の持ち主がその7月の解除に合わせて
記念的に建立の日付を入れたのではないかと憶測できる。
それだけ、当時のクーデターと戒厳令の解除が大きな事件だった
ということが窺い知れる。
当時のこの地域の動乱の歴史を考えてみれば、自ずと推測される
事実ではないかと考える。

あまり深い意味はないようだが、東日本大震災も超えてしまった
つわものだ。
しかもそこに眠る先祖は、江戸時代の生まれとなっている。
ちょっとびっくり(^o^)/

まあ、そのようなものが、現代まで受け継がれたことを、
反対に戦争や平和を考える上で感謝してみた。
結局この墓に刻まれた謎の日付のおかげで、
船橋の歴史や、戊辰戦争の本、2.26事件の本など
たくさん読書してしまった♪(´ε` )
とにかく当時刻一刻と変わる世界情勢があって、
その中で自分たちがどの時代を生きたかという
証を後世に残すのは、非常に大変なことなので、
現代、反対に反面教師のようにその一つの事柄
から学び取る事実が非常に大きく、そして人間は
同じ過ちを繰り返さないためだけに、そういった事実を
人間の英知を持って超えていくことが可能だと
信じたいところ。

当時戒厳令以外にも、様々な事件や物騒なことは頻発
したらしく、その中には、虐殺騒動なども実際に
あったという記述もあった。

そんなこんなで、例に漏れず、私も直系を3代遡っても
国籍は日本にしかなくて、むしろ戦災を被った
方の被害者に当たるはずで、むろん戦死者もいるようだが、
事実は役所の人たちがおおかた教えてくれたが動乱が長く
続いた地域だったがために、これ以上の手はずがすでに私
の代では時遅しだったという部分があったらしい。
けっこう細かく教えてくれた(⌒-⌒; )

日本の人口が本格的に減少傾向になってきたそうです。
これからの新しい時代が、平穏であることを祈ります。




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a happy new year (^O^) [social]

明けましておめでとうございます!
私も今年で42歳になるんだけど、
結婚生活もとうとう19年目になってしまって、
あとは子供達をきちんと、育て上げることで
頭がいっぱいだ。
現在住んでる地域に移ってきてから、34年経ってしまったが、
住んでる地域の景色は激変した(⌒-⌒; )
20年前の面影もあまりない。

テレビを観たり、書き初めしたりしていろいろ考えていた。
初詣の計画もあるので、ふと思ったことを書いてみる。

日本では、主に神道が信仰されているんだけど、
お伊勢参り系の、天照大神信仰や
男神の日本武尊信仰があったりするんだけど、
基本的には多神教なので、八百万の神と言われるくらい
神様はたくさんいて、自然信仰やらなんやら。
皇室神道やら、キリスト教系の教えを説くものもあるそう。
沖縄の琉球神道は太陽神のティダ信仰だ。

一方、神話は、古代ギリシャとかローマとかで
伝説となった寓話を、のちに神格化して神話として伝えたもの。
寓話から、天界に登った時に神の化身となった、というような
ものもたくさんある。
しかも、ギリシャやローマ以外にも、マヤや、インドにも
神話は存在する。
ちなみに、乙女座は、正義の神という説と五穀豊穣の神
という説がある。(かくいう私は乙女座です( ´ ▽ ` )ノ)


神道にまつわる寓話は、神話の伝説と似ている部分があって、
図書館で宗教学の棚なんかを探すと、
とても興味深いものがたくさんある。

まあ、人間にとって何を信じるか、で人生に影響が
あるかもしれないし、ないかもしれないんだけど、
今の時期は空気の振動が少ないので、星が満天に見える。
星座の形を追うと、本当に神話が実際にあった話であって
ほしいなあ、なんて思うし、神様が作り出した造形物のように
感じてしまう*\(^o^)/*
11月頃に、やはりすごく寒くなってきて、偶然ほうき星のような
流れ星を見たが、年末押し迫ってきて、うちの娘は2回も見たという。
3回願い事を唱える時間があればいいが、昔は吉兆か、凶兆かと
不安を抱いた人々も少なくない。

神社に行くと、祀られている動物とかもその神社によって
違うが、干支の動物ありき、縁起物ありきで様々。
狛犬も犬だもんね。

基本的には、太陽や星より高い位置に存在するものは、
肉眼ではわからないから、最高神になったりするんだろう
と思う。太陽が出てこない世界は、神がいないのと
同等だということなのだろうから、当然だけど。
だから昇り竜は縁起が良いとされるし。

もちろん、実在した人間を死後に祀るものもあるから、
神様が喧嘩をしないように、いろいろな注意も必要だろう。
鬼門や、通り道、なんて考え方もある。
風水的な感覚で、どんな気がそこに流れてるのか?とか。

偶像化することもありだし、私はむしろ、自然信仰の
自然界に存在するそのものを信仰する気持ちが
神という存在に一番近い気がするし、その中で
人類の英知が自然を超越した時に、大きな奇跡が起きる
こともあるのではないかなんてことを考えたりする。








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human dignity〜尊厳〜 [social]

尊厳、基本的人権。
どういうことか?人間が人間として当然保証される権利。

生存権。人間が人間らしく生活する権利。
ナショナルミニマム。健康で文化的な最低限度の生活。


人権を保証することを表現した様々な記述がある。
すべての人に保証されるべき権利と、国連憲章などでも
記されている権利。

人身売買や奴隷貿易なんて、もってのほか。
ありとあらゆる差別も、してはならないとされている。
この、ありとあらゆる差別をしてはならないっていうのは、
文章にすると簡単だが、実行するのは、本当に
たやすいことではない。
どんなに高額な金品をもらったとしても、誰にでも
できることではない(断言)
一度生み出された差別は、差別される方も、差別から
助け出す方も死ぬ苦しみだということを
簡単には理解してもらえないのも事実。
そして、そのルールのもとで生きている人間を
差別する人たちがいるのも事実。
仕事や資格の性質上、建前であってもこのルールを
遵守しなくてはいけない人たちが、
日本の国の中にもたくさんいる。
本来であれば、福祉職はもちろん、警察官、医師、
医療職、政治家、教職、住職の方など。
「何が楽しくて生きてるんだろう、ああいう人たちは」か。
ものすごい差別だよなあ。( ;  ; )

国家や地球上で、必ず記されているこのルールが
わからない人たちが、交通法規を理解できないのと
同じくらいたくさんいる。

ひとりひとりの人間がこのルールを理解して、協力しないと、
世界秩序は簡単に崩壊する。(ー ー;)

こんな堅いこと言って馬鹿じゃない?
は、赤信号みんなで渡れば怖くない、と同義語だということ。
みんなが赤信号で通行すれば、交通秩序は簡単に崩壊する。
交通秩序の崩壊した世界を想像してみてほしい。
なのに、この最低限保証されるべき、が、守れない。

誤認逮捕や冤罪もこの種の秩序の崩壊だし、
差別もいじめも虐待も同じ。

こういった秩序が完璧に守られる世界が簡単には
訪れないから、善と悪の戦いがある。ψ(`∇´)ψ
ひいては戦争は無くならない。

陸軍士官学校と海軍士官学校では、海軍の方が倍率も
学力も高かったそうだ。第二次大戦中の話らしい。
陸上自衛隊を精鋭部隊というから、反対なのかと思っていた。
そこにある、プライオリティーは、なんだろう?
命の優先順位と、生存権が反比例していないことを祈る。

「ここに、こう書いてあるんだけどね」
目に見える事実との違いに、極度の
違和感を感じることが少なくない。
記述と口述がまったく一致しなくなったら、
法律も無効になってしまう。
それは、ゆるくて楽なのではなくて、
無秩序なことと思う。

昨日、子供の合唱祭を見学に行って、かの
有名な「モルダウ」をやっていたクラスがあって、
楽曲紹介で1800年代の曲だと紹介していたが、
私が中学生の時も、他のクラスがこの合唱を
していて、でも、幼心に思っていたが、あの曲を
やれるのは、担任の先生がピアノをやっていたとかに
限られていた気がして、古い名曲にはきちんと格式があると実感する。
そして、ああいう音楽の世界こそ、格式や秩序がしっかり
していて、うちの娘はピアノをやっているが、指揮者しか
したことがなく、恥ずかしながら、私はかろうじてギターや、
コーラスぐらいしかできないんだけど、中学時代にやはり指揮者をした。
(後から鍵盤をやったので、へたくそなのだ。今もその辺に
アダプタさえ交換すれば使えるであろう、当時のものがしまってある。)
次の世代には、3世代目なので音楽を志してくれる子孫
が出てくるととても嬉しい♪( ´θ`)ノ
秩序や格式には、長い時間と受け継いでいく
力が必要なのだろう。
人間の怠惰や堕落と、永続していくパワーを
ふと思った。長い年月に、幾度も繰り返されることとして。

音楽は、お金がかかるからね(⌒-⌒; )
でも、聞く人は、無料でも文化的な生活をおくる
ことができるようになる( ´ ▽ ` )ノ
ナショナルミニマムに対する、サポートになる。
演奏者は、そのサポートの主役になる。
この姿勢が、音楽の奉仕性ではないかと
ふと考えてみたりする(^ ^)


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性善説と性悪説 [social]

ユニセフに定期的に少額の寄付をしているんだけど、
定期的に刊行物がやってくる。
この刊行物は、支援者に郵送配布されるもので、無断転載禁止には
なっていないので、ここに少し紹介させていただきます。
image.jpg

今回の刊行物では戦後の日本への支援の実態が掲載されている。
1949年から、1953年まで日本でも積極的支援が行われていて、
東京オリンピックの年に支援が終了したそう。主に脱脂粉乳などの支援だった。

現在では、途上国と呼ばれる国に脱脂粉乳ではないが、栄養補給のための
栄養食品などの支援が行われている。

ほかにも、ワクチンや薬品などの支援が行われている。

福祉関係の寄付金は控除の対象になるので、申告すると、少しは税金も安くなる。
[クローバー][クローバー][クローバー][クローバー][クローバー][クローバー][クローバー][クローバー][クローバー][クローバー][クローバー]

戦争と平和というのは、淘汰と共存の違いだから、
考え方の食い違いが世界を変えてしまう。

でも、人間だから、共存のという思想を理解したいところ。
嫌いだから殺す?考え方が違うから爆弾を落とす?
人間は生まれつき悪の心を持ち合わせているから、ひたすらがまんする?
良い心を持ち合わせているから、すべての人を愛せる?

ひとりの人間が、人として、人間らしい生活をおくること。
そのことが地球上の共通の倫理として、認識されている。
もちろん、誰もが願うこと。
でも、実際は人殺しや戦争により殺戮は、絶え間なく起こる。
そこには、その倫理はない。( ; ; )

ひとりひとりの人間が、その誰もが思うことを、
皆が同じなんだという認識ができないことが、争いを生む火種になる。

自分と価値観のまったくちがう、ひとりの人間に出会ったときに、
その人も、人間としての幸せな生活をおくりたいひとりの人間なんだ、
と信じることも大切なのではないか?

他人が他人の価値観で捻じ曲げてしまう事実があるのがこの世の中。
荒廃しきった世の中で、未来を夢見ることができない少年少女たちが、
幸せになりたくないわけではない。
ただ、手に入れることの方が大変なこともあるが。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

対岸の火事のままだったら、眺めているだけでもいいかもしれない。
でも、お金や物質ではない、倫理、というものさしがあって、
そのものさしは、人間が生きるということに深く関係している
ことで、同時に死にも深く関わること。
倫理では簡単に人間はなびかない。
でも、そのことの箍が外れると、それはいずれ
犯罪のような形を伴ってくる。

もし、倫理に形があるなら、私はそれをメトロノームの
ような感じのものではないかと想像する。
ピアノの奏者が弾く曲が、ショパンの曲であろうと、
モーツァルトの曲であろうと、その曲のリズムを心臓の
鼓動のように刻んでいくのだから、それが狂えば、
音楽は成り立たなくなる。

それを止めてしまっても、優秀な奏者は同じリズムを
維持が出来る。秩序を保てる。

硬く考えすぎると、考えたくないだろうから、
あえてそう喩えた。私は、そうイメージした。

先日ラジオで、ガンズアンドローゼズのギタリストのスラッシュの
怒りを表現したギターソロ、という放送を聞いていて、
前回の更新をちょっと反省。
秩序の中に喜怒哀楽、さまざまな表現があるのだから。
なおかつ、それを楽しめるようになったら幸せだという
かんじかな。

平和と幸せのための最終兵器を考えて、眠りにつくか!!
♪( ´θ`)ノ







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ユニバーサルという言葉 [social]

[るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん]
ユニバーサル・・・一般的、世界的、宇宙的、広く

1・2年前の話。
私は、30年以上同じ地域に住んでいるのだが、20年以上前に在学した
高校のアルバムのことで、ちょっと昔に少し揉め事があり、
そういった話を片付ける意味と、当時の感謝の意味から、
その学校にほんのすこしの寄付をさせていただいた。

お電話で話しをすると、当時の職員はもう誰もいないのだが、
書留で受け付けてくれる、とのこと。
お年玉くらいの金額ですが、という前置きで、当時の事情を
説明したら快く了解していただけた。
後日、領収証とともに、お手紙が送付されてきて、
部活動の活動費の一部に繰入れしていただけるとのお返事でした。

まあ、せっかくの記念品で嫌な思いをしてしまっても、
ということもあり、きもちだけですが、納めさせていただきました。
( ;´Д`)ごめんなさい。ありがとう。


まあ、そもそも私自身に、社会的制約があるのだが、障がい者手帳は持っていないし、
病気はない。国籍も日本だし、日本で生まれて育ったのだが、子供の頃、家庭崩壊で
親権の問題でもめてしまった。私は、養子にはならなくて、直系卑属で
相続する予定だったが、揉め事が複雑になり、結果、放棄のような状態になった。
これは、差別的な意味ではない。カミングアウトに近い状態だが、
一般社会の中では、私も、在日外国人の方も、障がいを持つ方も
同列だ。社会的庇護がない分反対に不利益を被ることも
たくさんある。でも、軽度ではない障がいを持つ方たちの中には、
もっと大きく理不尽を抱えたりする方も多いのではないか。
外国人の方ならば、言葉の壁も社会的制約といわれる障壁のひとつだ。

そういったこともあり、いろいろな社会的制約を重く感じて、
10年ほど前からボランティアなど、福祉を志した。
自分の社会的制約を学ぶこと、人のため、公共の福祉
のために。

最初は、市役所で行っている、広報誌の出版ボランティアで、
1年間、無償ボランティアとして、出版の活動をした。
交通費も自腹。お茶を持ち寄りするうちに、
市役所の職員さんは、ペットボトルのお茶を
差し入れしてくれるようになった。
子育てや、バリヤフリーのための案内を1年かけて
作成した。
10名ほどの人たちと1年間楽しく活動できた。

その時の経験が非常に大きく、
その後、子ども手当の増額のときにも
署名活動をお手伝いしたり
地域ボランティアや、PTAなどの活動を通して、
今も地域活動を行っている。♪( ´▽`)

5年くらい前だろうか?
PTAの広報部で、部長をやった。
当時介護施設(社会福祉法人)で、夜勤帯込みの契約社員で勤務していて、
夜勤明けに寝ないでPTA室に朝イチで向かい、
ひとり机を並べて、他のお母さんたちが来るのを待って
毎週、活動を行った。その頃は、3世代で同居していて、
夜勤を週1回と、日勤帯でも週3、4日勤務していたので、
明けの日程しか平日に時間が取れなかった。
メンバーも素晴らしかったし、私が夜勤明けに居眠りするのを他のメンバーは、
叱咤激励してくれて、なんとか1年間やりきった。
その年、本校は、広報活動の市のコンクールの佳作を受賞した。

年3回の発行で、新入職員の紹介、体育祭、卒業というテーマで
ずっと発行している学校誌だが、その年は、体育祭の特集の秋発刊号の
ページの空きスペースで、公共マナーの特集を組み、
全校アンケートを実施、集計して啓蒙活動のような感じで
2大特集を組めたことが勝因だった。
みんなで、お菓子を持ち寄ったりして、アットホームな雰囲気で
できたことも良かったと思う。

いまは、事情があって、福祉の仕事ではない仕事をしている。
一般社会という世界。私のことを周りの人は、変わっている、
と感じるかもしれないが、自分はそれを受容した上で、
順応していくために努力をしている。
自由も自己責任、幸福も不幸も自己責任。
娯楽も仕事も自己責任。
それが、一般社会。

ところが、ふと、当時の印刷物なんかが出てきて、当時は
ただ、がむしゃらで必死だったので、受賞の嬉しさはあったが、
また多忙な日々の連続で、それこそ、学校内でお疲れ様会を簡単に
済ませたくらいだった。
子育てする親と、学校と、子供たち、というまた一般社会の
前段階である、違う成り立ちの共助の社会のひとコマ。

当時のその印刷物を目にしていたら、なんだか、こんなにあのころ
必死だったんだなあ、と涙が出てきてしまって、
本当に子供達を育てることで頭がいっぱいで、
あんなに必死にやりきったんだなあ、と、今更感動してしまった。

子供達を育てることだけで頭がいっぱいだった。
それと、福祉という仕事がそういった活動に非常に寛容であったことも、
力が発揮できた一因だと思う。

自分が中学生のとき、級長で、学年の代表を女子なのに出しゃばって
頑張ってしまって、ちょっとしたことで怒られた時に、
「代表になる人間はミスをしたら全体に迷惑がかかるんだ。」
と言われた記憶が鮮明に残っていて、反対にその言葉があったから
良いことを心がければ、みんなが良くなるだろう、と
必死に頑張った甲斐があった。
[るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん]

そして、私のような社会的制約を抱える人間でも、
努力や協力や信頼は能力を開花させることがあるから、
諦めずに何かをやり続けることが、本人の誇りになるし、
本人も周囲もそのことを受容することが必要で、
北欧型のいわゆる高福祉高負担の世界という、
競争社会とは違う概念の次世代的な社会構造は、こういう精神力や
思想が非常に大事で、人間がいつまでも野蛮な殺戮を
繰り返さないために、非常に重要で、ユニバーサルという言葉どおり
このようにして、人類は成熟期を迎える必要があるのではないかと考える。
人が幸福に人生を送るための福祉が必要だと思う。









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記憶 [social]

3月になり、ニュースなどでも、20年前の地下鉄サリン事件について、
盛んに報道していますが、事件の被害者は事件を風化させたくないと考えるパターンと、
思い出したくもないというパターンとあるみたいですね。

でも人間というのは、トラウマが治らないうち、傷が癒えないうちは、
その場所すら見たくないとか、思い出したくないとかって思うものです。
恐怖や、苦痛との戦いですし、記憶が鮮明に蘇ってくることが怖いという
側面を否定できない。

かくいう私にも、そういう経験はあります。私の場合は
命を取り留めたし、サリン事件のような悲惨な事件とは違うにしても。
誰かが理解してくれて 、応援してくれたらって思う部分もあるはず。
それでずっと勉強しているんです。
福祉という勉強は、理不尽と立ち向かう勉強だとも
言います。

事故に遭った被害者ですら、その場面の恐怖感から
立ち直るのには、時間がかかる。
そのことを主張すると、すぐにどっちが悪いかという
水掛け論になってしまい、余計に傷が深くなるなんてことも、
少なくはないはず。
刑法や民法の裁きだけではないはず。
死刑でも、許せないパターンだってあるはず。
加害者側の責任、被害者側の過失?
そんなことだけで片付くものか、と思う。
周りで見ていた傍観者だって、傷を負うこともあるし、
誤認逮捕や、逃亡ということに対する過失は、警察が全面的に
賠償してくれるのか?
そのことで、傷を負ってしまったら簡単には癒せないでしょ?


自分自身が誰かの支えになって、助けたいという思い。
この勉強をするということは、自分の傷を受容し、容認する、
トラウマを克服する必要があることです。
もちろん、自分自身で克服していくから、人生なのだから、
いたしかたないが、一人一人では、力は小さい。
克服できなければ、挫折するかも、という宣告を講義でも
されたことがある。
インフォームドコンセプトだったりして。

私自身物事が、協調になるように気をつけなくてはいけないし、
克服ができないことがスパイラルを巻き起こす原因に
なってしまうことがある。(。-_-。)
これは、音楽の、和音と不協和音のようなもので、
きっと、すべてに通じること。
協調が望ましく、明るい曲もあれば、
やはり哀しい音楽は、哀しいし、
マイナーな曲調でもひとつの音楽は
音楽だ。*\(^o^)/*

資格をとっても、その部分の克服が自分に必要で、人が協調するために
何が必要かを考えなくてはいけないし、そのために今持っている資格と、
考え方や倫理観ということを叩き込まなきゃいけないし、
だからと言って、実際にその資格を行使してその物事を
行うことは、それがどういう風に人のために社会のためになるかということを、
周囲が理解して、認めてくれないとただの自己満足になってしまう。

例えば、あなたが事件の被害者だったとして・・・・・
本人は、そのことも思い出したくない、関係のある地名も聞きたくない、
関係のある言葉も聞きたくないとして、そのことがトラウマだったとしたら。
理解をしない人が近づいて、理解できると力説しても、その人の心には
決して届かない。
届かないということは、解決にはならない。(-。-;


見たくない、思い出したくないという人への配慮が必要な
場合もある。
思い出したくない人には、助けの手が届かない?
思い出したくない人を
助けられる方法もある。本当は。

力では解決しないこともたくさんある。
誰かが力で解決した問題だけでは、戦争は無くならない。


でも、その時に独力なら、自分自身の幸福や協調が必要不可欠になる。
それも、説得力を持たせるなら、そうとう強い意志が必要。
被害者同士の支援なら、トラウマを克服できるかも。
という視点が、配慮になると思っていただきたいです。

考えてください、一人一人、ひいては、自分自身のために。
誰のための幸せ?は、社会の一員として、という想いだと考えます。
みんなの幸せが自分の幸せ、です。♪( ´θ`)ノ
ほら、オールフォアワン、ワンフォアオールっていうでしょ?

何年も、そういう想いでボランティアなんかをしましたが、
なかなか難しく、自分自身の問題をきちんと克服したいです。
私の心のことなどわかってたまるか、と思う自分が
今も心の中にいて、でも、そのことを克服するしか方法は
ないわけで、本当は、そういう自分を変えるのは自分自身でしかないし、
自分の経験によってしか克服はできない。
その時に理解をしてくれる仲間は、そんなにたくさんはいないわけだから。
待っていても、誰も変えてはくれない。
自分自身を変える努力をしてみたいと、ずっと考えている。

被害者を、孤立させてしまってその人たちの自立の
努力を遮ってしまうことが一番の問題で
肝心なのは被害者にも選択の権利がある、ということです。
選択の権利と、自由の余地。
被害者だから、何もさせてもらえない?
それじゃあ、犯人と同じにされているように
受け止めるでしょう。
いつか、犯人に対する恨みつらみがまた、スパイラルになる。
だって、例えばテロの被害者を保護するという理由で、
「あの人は特別だから・・・」
と被害者を扱ったら、理由がわからない人には、
「そんなに特別な人なのか」
と勘違いされても仕方ないわけです。
それが積み重なれば、その被害者は結局孤立していく。
その孤立が、誤解を生む。
結局、本当の被害者を孤立させてひいては、
犯人と同じにしてしまうのだから。
その孤立が生むものは、犯人や事件への憎悪だけですよね。
事件全体が憎い、その地名が憎い。
それは、次の事件への引き金になる恐れがある。

イスラム国の一件をみれば、よくわかる。負の応酬になる。
あえて、ここに記してしまうけど。
読んでいて不快になったらごめんなさい。
行方不明や被害にあった方々のご家族は、
おそらくそう思うはずです。
幸せを祈りたくたって、綺麗事にしかきこえないはず。

そう思いながら、いつもこのブログを更新しています。
わたしは、今は平和について考えられる。
その幸せに、とても感謝をしています( ´ ▽ ` )ノ




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are you happy? バースデーは、グラウンドゼロ [social]

「7月4日に生まれて」という映画をご存知ですか?
オリバーストーン監督、トムクルーズ主演のアメリカの映画。
7月4日は、アメリカの独立記念日で、イギリスの植民地から独立した日。
日本では江戸時代ぐらいなのだが。
この映画はその独立記念日に生まれた主人公が、ベトナム戦争に出征して、
半身不随になってしまうが・・・・という映画。

私の誕生日は奇しくもグラウンドゼロの9月11日です。
30歳になるくらいに、それは突然起きた。
(ごめん、28歳くらいの時だわ)
まだ子供が幼かったわたしは、子供たちを寝かしつけたあとの
ニュースで、その映像を見て本当に衝撃を受けたのを、いまでも昨日のこと
のように覚えている。(~_~;)
いや、違うな。
日中、第一報が流れて、その話を夕方に知人としていて、
夜のニュースで映像が流れたんだわ。
確かそんな感じ。

私の誕生日はそれ以前からその日で、なにも変わらない。

3月11日に被災地でお生まれになったお子さんもいるもんね。
彼らに幸多き人生が訪れることを祈ります。♪( ´▽`)

最近ふと、あの映画を見ていてよかったなあ、と思った。
主人公は生まれつきその日がバースデーなのですよ。
でも、人生の荒波は果ては、彼を失意のどん底に陥れてしまう。
でも、彼はのちに反戦運動を始めるのです。

この映画は本当に哀しい映画で、非常に印象深い作品でした。
でも、アメリカのという国や、国民や、人類にとっての戦争が何かを考えさせてくれる
素晴らしい作品でした。( ̄^ ̄)ゞ
もちろん、トムクルーズの演技も本当に素晴らしい。

いつか、グラウンドゼロの跡地に行けるといいなあ、と思う。
本当は、新婚旅行にニューヨークに行きたかったが、叶わぬ夢だったさ。
パスポートはあったが、さすがに、予算と日数不足で・・・・
かわりに、平和の神様は、私たちを沖縄に
呼んでくれたわけでした。
そのころ、まだ2人はいずれニューヨークに起こる悲劇を
知る由もなかった。ってか。(⌒-⌒; )

そして、わたしにとっても、地球上の多くの人々に
とっても、地球上の一人一人の生命の重さというのが
倫理という言葉だけでは片付けられないほど、
重要なものだと感じ取ってほしいと思います。
淘汰という言葉は厳然として存在して、
宇宙のサイクルの中では、人間の生命は本当に小さな
ものだけど、それでも、人間に人間を淘汰する権利など、
あってはならない、と思う。
人間同士、痛みを分かつことができることが必要なことで、
大量殺戮の悲劇を、何度も繰り返してはいけない。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


銀河鉄道999というアニメがあって、世の中はああいう
宇宙世紀のような世の中になっても、かんたんに殺戮を
やめないのだという。
でも、あのアニメはこの先の世界に重要な教訓を
たくさん描いていて、機械と人間のWARを描いている。

機械の進化や技術は、独立戦争とは遠い時代になり、
ほんとうに、アンドロイドやクローンの時代になるようだ。

それでも、人類は人類として生き残るんだろうね。
殺戮を正しい道として、戦争を繰り返すのか、
宇宙との共存の道を選び取るのか?
機械として、魂だけが輪廻を繰り返していくなんて、
かんたんに信じられないもんね。






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言葉の暴力、映像の暴力、メディアの脆弱性と危険性 [social]

幸せな時代に、幸せな光景を描いた、文学や絵が好きだ。

でも、不幸なことに、すべての人にそのラッキーな瞬間を描けるわけではない。

わたしは、10代の頃に文章を書く仕事を生業としたい、と思ってはやくも、20年以上、
生業ではなくとも、友人のように文章書くことと付き合っている。

脳みそをえぐられる思いで描いた文章もある。
いままでに、文章を書くことに費やした時間は計り知れない。

うそでも、お世辞でも、アマチュアのままではもったいないと言われた時は
本当に嬉しかった。しかも、出版社の人にだ。

いまもあの頃の光景をよく思い出す。
高校の授業中にノートの下に原稿用紙を隠して、音楽雑誌に投稿するための文章を
先生に見つからないように書いていた日々。

そして、簡単には食えないから、(何度も言われたこと)
手に職をもつこと、という言葉を言われた10代のあの頃。

脳みそをえぐられる思いもあれば、神様が降りてきたように
描けるときもある。

40代になった今、大学の勉強でもソーシャルメディアのことを専門的に
学んだりして、コマーシャル的な要素でも、もちろん、ネットワーク自体が
戦略的兵器的な、軍事目的の利用や平和目的の利用やいろいろな
用途で使用されていることを学んできた。

フェイスブックに、中東地域の国連の報告というニュースをシェアしたんですよ。
まあ、子供の人身売買とか・・・
で、その、20分後くらいに空爆のニュースを反対にネットで速報で流してて。
現実であって欲しくないし、自分には何ひとつ変えられないんだなあ、という、
敗北感みたいなことを感じてしまって。
自分自身が無意識に言葉の暴力を垂れ流しているんではないかと、
ものすごい折れた。

どんなに長い時間かけて、平和への訴えを小説にしても、
自分の無力さを思い知る。
自分がなにかニュースを配信しただけで、世界が良くなるほどの、
そんな力量が私にはないんだなあ、と。

でも、本当の才能はスポーツしてたって、小説書いたって、
音楽やったって世界が変わってしまう。

ジョンとヨーコは世界を変えられるんです。
羽生君も、イチローも、カズさんもそう。
おそらく、日本一の純愛小説だと私が信望している
村上春樹氏のノルウェーの森も、
一見、暗い感じに思うかもしれないが、幸せな時代の幸せな人たちの物語だと思う。


誰かに誹謗中傷されたくらいで、戦争起こすくらいに目くじら立てているうちは、
何も変わらない。
でも私の心はいつも、空爆された後の瓦礫の山のように
痛みを超えて、真空管アンプの音みたいに、永遠に続く暗闇みたいに、
少しの誹謗中傷で、闇をさまよっているみたいになる。

そういう自分の弱さが嫌になるけど、それでも、わたしは言葉にできる自由を神様から
与えられたんだ、と思う。

だから人が幸せになれる文章を書きたいよ。

私に与えられた自由は、目の見えない人にはその言葉を音にして話してあげられる
自由です。音の聞こえない人には、文章にして見せてあげられる自由です。
手話だって、簡単なことは少しだけれど勉強した。

私の心は本当に脆弱なので、
満ち溢れる言葉の暴力と、映像の暴力で傷ついてしまっているが、
わたしは、そこに平和が訪れることを諦めるつもりはない。

私には、簡単に凡庸な幸せが描けない。

私のテーマは戦争と平和ばかりかもしれない。
それでも、人が幸せになれる文章を書きたいと、心から願う。










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平和と沖縄 [social]

沖縄について。
私が沖縄にいったのは、1998年。沖縄サミットの2年前の夏の終わりだ。
まだ、サミットの準備前で、地下鉄の工事にとりかかる前だった。

わたしには当時、縁あって、沖縄から大学へ入学し、勉強しに来ていた
沖縄生まれの友人が何人かいた。
また、沖縄から大学を経てそのまま就職した中に、沖縄から上京してきている
者もいた。

1週間近くの旅行は、恩納村と那覇に半分づつ宿泊をした。

レンタカーで、島内観光をした。
友人の旅行会社の組んでくれた、オリジナル個人ツアーで、
オプションにシュノーケリングや、ウェイクボードをつけた。


豊見城市にある、海軍司令部防空壕

地図を探して、やっとの思いでたどり着いた場所。
防空壕に入る階段には、千羽鶴がいくつもぶら下がっていた。

地下に、いくつも部屋があって、そのなかには、沖縄戦で、
敵に追い詰められて、防空壕内で、手榴弾によって自決した
爆発の痕跡が痛々しく跡を残していた。(合掌)

沖縄戦跡国定公園

平和の礎や、ひめゆりの塔がある。
平和の礎は、戦没者を祀った名前の入った石碑。

ひめゆりの塔は、沖縄師範学校の女子部の生徒が、沖縄戦で、従軍看護婦として、
動員され、陸軍病院で学徒として従軍したが、そこで、戦死したひとたちを祀ったものだ。

写真は辺野古岬で、祖国復帰闘争の碑。
名護市のキャンプシュワブの近く。

国際通りや、海洋博の跡地なんかは、わりと、有名な観光スポットだが、
首里城は、琉球王国時代の華麗な遺産で、琉球王国の栄華と
ユイマールといわれる思想に触れることができる。

素晴らしいのは、アジアの小国が、200年以上も戦争する武器も持たずに、
流通貿易と、もてなしを外交手段として栄えたこと。
(一説には、450年以上ともいわれる)

そして、その小さな国が、明治維新とともに解体され、日本に吸収され
太平洋戦争に巻き込まれていく歴史の史実には、涙が出てきます。

もういちど、生きている間に行きたいところのひとつ。

サミットの後、だいぶ変化したのだろうが、
もういちど、訪れたい。

いまも、30度以上の灼熱の空気と、
その風景の背後にあるひめゆりの塔が
記憶に鮮明に残っている。

若い人たちが、再び間違いを犯さないように、
私たちが伝えられる真実があるはず。

写真が古くてすみません。
もう、17年くらい前かな。
私も一緒に載せようとかとおもったが、
あまりに、若くて可愛らしく恥ずかしいのでやめておいた。
[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]自画自賛かあ、今と比べると、なんでも、可愛らしく見えるよ。

最後に、従軍看護婦というのは、内戦が激しくなった沖縄において、
従軍して治療や救命をするために動員された、ということで、
公娼制度は、べつに、戦時中に世界各国であった事実とされています。
沖縄の人たちの名誉にかけて、沖縄での本土決戦の激しさを
理解していただきたいと考えます。

image.jpg


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弱音と、判断能力・・切実な戦争と平和 [social]

早く暖かくなるといいね。
レイアウト、グリーンに変更しました。

フーッ。(T ^ T)
それにしても、あまりにもじゃないでしょうか?
これ以上犠牲者を増やしてはならない!!!
映像が氾濫する世の中で、どこまでが真実なのか、国家ですら判断しかねている
現状で、子供たちや社会にどんな影響があるか、だ。

戦争を拡大するためだけに、残忍な映像をわざと流している
のであろう。

でも、生命倫理を逸脱してしまうことは、人間の道に外れてしまうことだから、
情状酌量の余地がなくなってしまう行為こそが、暴力の応酬になってしまう。

心が痛いというか、脳みそが涙流している感覚だよ。
歴史が犯してはいけない過ちを、むざむざと見せつけられていることに対する、
ものすごい怒りや悲しみで、うちひしがれています。
若い子らが、スタイルやプロパガンダに洗脳されてしまわないよう
注意していただきたい。
死ぬのも、殺すのも当事者同士は一瞬だが、残された人間に
何百年もの地獄のような痛みを与えるのだから。


これでは、御慈悲で原爆を投下したアメリカは、正しかったように
感じてしまう。日本人の私ですら。
結果的にはGHQの統治が、今、オバマ氏を大統領に据えている
この時代になって、正しかったことが証明されるかも。
いやあ、まあ、正しくはないけれどね。あながち間違いではないっていうの?
沖縄問題は、そうはいかないし、もちろんもっと時間がかかるけれど・・・

こんな、むごたらしい行為が、長く続いてしまうことの方がまずい。
幼い子供たちを、奴隷にして、人身売買しているらしいですよ。
そういうニュースが、一部報道されていたらしい。
真偽は定かではないのだが。
かの、暴力とプロパガンダの国家?は。
あなたがもし、その子供たちの親だったら、どんな悲嘆にくれるだろうか?
オバマ氏は、とても、辛い立場だろう。

内戦をしているだけではないからね。
ああいう感じは。


不快でこっちも、言葉の暴力を吐きたくなる感じ。
でも、まあ、なるべく幸せな平和をイメージさせる光景を
フェイスブックなどでも、投稿し続けたが。
ダメなもんはダメなんだから。
かっこよくなんかないんだから。
テロリストなんか。
ただの、犯罪者なんだから。
世の中の情勢が逆転したって、非情なことを
した人たちは必ず裁かれる。
正義と正義が戦っているのではないのだから。

脳天と、胃の上のあたりがキリキリした感覚が、
ずっと間断なくつづいている・・・

幸せな光景を文章にできる日が一刻も早く
戻ってきますように・・・・
こうやってこのブログで文章を公開していることで
ひとりでも多くの人が悪のスパイラルから、
救済されますように・・・・・

こういう考え方が古いのかもしれないが、
大人がきちんと、善悪の区別を教えてあげられない世の中は、
みんなが不幸になる世の中のなのだから、
なにを言われようと、頑としてダメなものはダメだと
大きい声をはりあげてでも、子供たちにいってやらなくては。







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